長田鉱泉の歴史

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長田鉱泉には二つの歴史がある?

長田鉱泉の歴史

長田鉱泉場入り口に掲示板があって、そこには長田鉱泉の歴史が書かれています。それによるとストーリーが二つあります。まず一つ目です。時は徳川末期(1864年)の頃、地元の人々が恐れを抱き、触れさえしなかった湧水を熊本藩士の中田多一郎が飲用し胃痛が治ったというもの。中田多一郎は、村人に毒はなく薬効があると勧めたというもの。
もうひとつは、慶応三年(1871年)の頃、地元の木本正蔵が発見し、明治三年(1871年)に立花藩へ願い出て入湯場を作ったというもの。

なぜ二つの説があるのかちょっと分かりませんが、地元の住民が毒があると思っている湧水を飲用するというのはちょっとやそっとの勇気で出来ることではありませんから、こちらの説より後述の説のほうが信憑性があるかと思います。

後述の説が正しいとしても、はじめに飲用した人がいたわけで、いずれにしても現代のように水質調査も出来ない時代にすごく勇気のある人がいたものですね。

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長田鉱泉には地元はもちろん、県外からも毎日多くの方がお見えになっています。日本一の炭酸水を味わいに、ぜひ立ち寄ってください。